温厚?顔
時津風親方
弟子の17歳の力士(時太山=本名・斉藤俊さん)が
名古屋場所前の稽古中に急死した事件は
時津風親方や兄弟子たちから
ビール瓶や金属バットで殴られた
集団リンチによる傷害致死だったらしい。
おまけに、遺族に無断で斉藤さんを
火葬する準備をしていたのが、
暴行の痕跡を隠そうとした
隠ぺい工作ではないかと
疑惑が持ち上がっている。
なんちゅう、極悪非道な野郎、
親方どころか人間の資格もねえ!
と、
言いたいところだけど、
困ってしまう。
・・・実はこの親方、非常に温厚な性格で
周囲からは人格者として見られていたそうな。
★
娘さんといっしょによく犬の散歩していて
会えば必ず律儀に挨拶もするし
近所では大変に評判が良かったとか。
病床にあった先代親方が、
そのまじめな人柄を見込んで
部屋付き親方から後継者に抜擢したという話もある。
そういえば、以前朝青龍が出げいこで、
部屋の豊ノ島を荒っぽい稽古でケガさせたとき、
『若手を壊して恐怖感を与えることしか考えていない』
と激怒したという、ある意味弟子思いの
有名なエピソードもあったね。
★
そんな人がなぜ・・・ということになるんだけど
人間ってそういうもんだってことなのかもしれない。
第二次世界大戦が終わって、
世界中の心理学者が興味を持ったのが
アウシュビッツの看守の性格だったそうな。
よっぽどサディスティックな性格異常者だと
思われていたんだけど
どんな心理テストや実験をやっても
元収容所の職員たちに際立った異常は見られず
ごくごく普通の健常な精神の持ち主ばかりだったんだって。
ガス室で大量殺人を遂行した人が
家に帰ってはよき夫であり、パパであったのだ。
同じように、原爆を落としたパイロットも異常者ではなかったし
あのヒトラーですら、残忍暴虐な性格、
浪費家で激情的なイメージは
ハリウッドその他によって作られたもので
実は論理的で理性的、
ストイックな菜食主義者だったとか。
つまり、性格と行為は必ずしもつながらないんだ。
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それでは、なぜ人はどこまでも残忍になれるんだろう。
それは「物語を美化する」ことができるからだそうな。
人間が動物と一番違うのは
「物語」の中に生きていること。
動物にとっての世界はただの現象にすぎないけれど
人間にとって、その現象はすべて「物語」にくっついている。
宗教、イデオロギー、歴史、あらゆる社会常識。
たとえば、動物は「死体」を怖がらないけど
人間は「死体」を恐怖するよね。
それは、死という概念、つまり物語を持っているからでしょ。
ところが、この「物語」は相対的なものなので
百人いれば人間は百通りの物語の中で
暮らしていると言っていいじゃない?
もし「死」が物語として正当化、または美化されれば、
恐怖は克服されるというわけだ。
カミカゼ、原爆、アウシュビッツ、
動物が絶対しないような不可解な行動を
人間が出来てしまうのも、人間が自分が暮らしている
物語の世界を正当化し、美化する能力があるからってことになる。
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話が元に戻るけど、それじゃ今回の事件の裏には
それぞれどんな物語があったのか。
まったくの推測でしかないのだけれど、
少年の親にとっては
「反抗的で未熟な息子を、
相撲部屋なら鍛え直してくれる」
親方にとっては
「部屋の秩序を守ることを
体で覚えるのが、人格向上の近道」
兄弟子たちにとっては
「下の者が上の者に従うのは当然で、
逆らうものには罰を与えなければいけない」
そして、少年の住んでいた世界では
「自由を求めるには、
反抗するか脱走するかしかない」
というような物語だった。
温厚な親方が激怒したんだからこの少年は
よっぽど反抗的な言葉や態度をとることもあったんだと思う。
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そして実際上は、皆の持っている
物語では事態がうまく展開しない。
それなのにそれぞれが自分の物語を
正当化、固執してよけいに事態を悪くしていく。
つまり、それぞれがそれぞれの物語を
誰一人信じて疑ってなかったのだ。
結果的には
親方が、逃げ出した弟子を力ずくで連れ戻し、
兄弟子たちと制裁的なリンチを加えて
殺すという凄惨な事件になってしまった。
★
物事がうまくいかないときは、
まず「物語」を点検することが必要だと
この事件から強く感じたなあ。
でも、他人の物語をとやかく言うより
まっさきに自分の物語の点検からはじめないとどうしようもない。
自分は棚に上げて、人の物語にケチをつけることこそが
まさに、自分の物語の正当化であり、美化なんだもん。
物語のためには、人間はどれだけでも
残忍になれるのは歴史が証明している。
イラスト・文章の無断転載を禁止します/著作・松村宏