尊敬顔
大山のぶ代
朝日新聞の朝刊(3/2)のオピニオン面で
26年間担当した「ドラえもん」を降板するにあたっての
寄稿文が掲載されていたよ。
ちょっと感銘を受けてしまいましたがな。
テレビアニメでは原作にはない「言葉遣い」へのこだわりがあったそうな。
テレビを見る子どもたちに、きちんとした言葉遣いをしてほしいと
使ってほしくない「バカヤロウ」「コンチクショウ」などの乱暴な言葉は
たとえ原作や台本にあっても出演者たちとその都度
言い換えるようにしていたんだとか。
「こんにちは、ぼくドラえもんです」
きちんと挨拶するあの有名なフレーズはそうやって生まれたらしい。
もともと初回の台本には最初の出会いのセリフは
「君がのび太君かい」とあったそうだ。
うーん。声優が勝手に台本のセリフを替えるなんて
勇気のいることだと思うけど、立派だなあ。
それだけじゃない。大山さんは
「役を離れても、子どもたちは
『ドラえもんのおばさん』の言うことはよく聞いてくれる。
だから、サインをもらおうと、順番を無視して列を乱そうとしたり、
お礼の言葉がいえなかったりする子には、ぴしゃりと注意する」そうな。
まさに「大人の見本」。ワタシも見習いたいもんだなあ。
★
ところで、大山さんは子どもたちのあこがれなので、
まだマシかもしれないが、たしかに、今の日本には
シツケが施されてないおぼっちゃま、おじょうちゃまが
大量発生して公害に、いやさ社会問題になってますなあ。
シツケに加えて、もう一つ彼らに大きく欠けていると思うのが、
大人を「敬う」という感性じゃない?
あいつら、お年寄りに平気でタメグチたたくし、
おじいちゃん、おばあちゃんは便利なサイフだとしか思ってないフシがある。
★
それはすべて戦後教育のせい、という意見があるね。
自由な子育てと称して、ただ「放任」しちゃってる家庭、
結果的にはシツケを放棄している親たちが
すっごく増えたんじゃないかと。
だから子どもたちは、自由とワガママを見事に勘違いして、
自分の行動が、人様に迷惑をかけるかもしれないという
当たり前の視点を持たないまま成長してしまったというわけだ。
おとと、こんなこと言い出だすと、戦前回帰志向で、
独裁主義教育論の某・シンタロー都知事や
封建的家庭教育をふりかざす、某・細木数子センセの
肩を持ってるように思われるかな。
でも、そんな教育イデオロギーみたいな大げさな話じゃなくて
理由は実はもっとシンプルじゃないかと思うんだよね。
★
いま、日本の多くの家庭の中で、子どもたちに経験がないってことだ。
「尊敬」とか「敬う」という行為を、身近で見る経験がない。
ああいう行為って、頭ごなしに教えて出来るようになるもんじゃないから
やっぱり、大人がやってるのをマネしたり、やり方を見て
雰囲気を覚えるしかないんじゃないかなあ。
ところが、いま家庭の中で、大人どうしが尊敬しあったり、
ぜんぜん敬ったりしないんじゃないかね。
早い話が、お母さんが、お父さんを尊敬したり
たとえばお父さんがおばあちゃんを敬ったりしてない。
よくて対等か、悪くすると見下すようなしゃべり方しか
子どもの前で見せてないんじゃないのかも。
「パパはだらしないんだから!」
「ばあちゃんはうるさいよなあ」
そんなんばっかだと、子どもが誰かを「敬う」という感性が
生まれてこないのは当然かもね。
だから、教育論をどうの、道徳をどうのこうの、
子ども自体をいじろうとする前に、それぞれの家庭で親が
見本を見せることしか出来ることはないんじゃないかなあ?
そもそも、大人がいま、心から誰かを尊敬しているって態度を
人前で見せることすら、あんまりないんじゃないだろうか。
歴史上の人物でも、実業家でもスポーツ界のヒーローでも、
それこそ都知事でも、カリスマ占い師でもいいけど
名前を呼び捨てにしないで、ちゃんと敬語使って
大山さんのように言葉遣いにこだわって、
その人がどんなに大切な人かを表現していたら、
子どもにも、世の中にはそういうコミュニケーションがあるんだって
それはとっても気持ちのいいもんだって
雰囲気が自然と伝わると思うんだよね。
★
ドラえもんは未来からやって来たという設定だったけど、
未来は家庭でも社会でも、大人も子どももお年よりも
みんなそんな風にお互いで、尊敬しあえるようになれたら、
ホント理想だなあ。
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