尊敬顔

大山のぶ代

朝日新聞の朝刊(3/2)のオピニオン面で

26年間担当した「ドラえもん」を降板するにあたっての

寄稿文が掲載されていたよ。

ちょっと感銘を受けてしまいましたがな。

テレビアニメでは原作にはない「言葉遣い」へのこだわりがあったそうな。

テレビを見る子どもたちに、きちんとした言葉遣いをしてほしいと

使ってほしくない「バカヤロウ」「コンチクショウ」などの乱暴な言葉は

たとえ原作や台本にあっても出演者たちとその都度

言い換えるようにしていたんだとか。

「こんにちは、ぼくドラえもんです」

きちんと挨拶するあの有名なフレーズはそうやって生まれたらしい。

もともと初回の台本には最初の出会いのセリフは

「君がのび太君かい」とあったそうだ。

うーん。声優が勝手に台本のセリフを替えるなんて

勇気のいることだと思うけど、立派だなあ。

それだけじゃない。大山さんは

「役を離れても、子どもたちは

『ドラえもんのおばさん』の言うことはよく聞いてくれる。

だから、サインをもらおうと、順番を無視して列を乱そうとしたり、

お礼の言葉がいえなかったりする子には、ぴしゃりと注意する」そうな。

まさに「大人の見本」。ワタシも見習いたいもんだなあ。

ところで、大山さんは子どもたちのあこがれなので、

まだマシかもしれないが、たしかに、今の日本には

シツケが施されてないおぼっちゃま、おじょうちゃまが

大量発生して公害に、いやさ社会問題になってますなあ。

シツケに加えて、もう一つ彼らに大きく欠けていると思うのが、

大人を「敬う」という感性じゃない?

あいつら、お年寄りに平気でタメグチたたくし、

おじいちゃん、おばあちゃんは便利なサイフだとしか思ってないフシがある。

それはすべて戦後教育のせい、という意見があるね。

自由な子育てと称して、ただ「放任」しちゃってる家庭、

結果的にはシツケを放棄している親たちが

すっごく増えたんじゃないかと。

だから子どもたちは、自由とワガママを見事に勘違いして、

自分の行動が、人様に迷惑をかけるかもしれないという

当たり前の視点を持たないまま成長してしまったというわけだ。

おとと、こんなこと言い出だすと、戦前回帰志向で、

独裁主義教育論の某・シンタロー都知事や

封建的家庭教育をふりかざす、某・細木数子センセの

肩を持ってるように思われるかな。

でも、そんな教育イデオロギーみたいな大げさな話じゃなくて

理由は実はもっとシンプルじゃないかと思うんだよね。

いま、日本の多くの家庭の中で、子どもたちに経験がないってことだ。

「尊敬」とか「敬う」という行為を、身近で見る経験がない。

ああいう行為って、頭ごなしに教えて出来るようになるもんじゃないから

やっぱり、大人がやってるのをマネしたり、やり方を見て

雰囲気を覚えるしかないんじゃないかなあ。

ところが、いま家庭の中で、大人どうしが尊敬しあったり、

ぜんぜん敬ったりしないんじゃないかね。

早い話が、お母さんが、お父さんを尊敬したり

たとえばお父さんがおばあちゃんを敬ったりしてない。

よくて対等か、悪くすると見下すようなしゃべり方しか

子どもの前で見せてないんじゃないのかも。

「パパはだらしないんだから!」

「ばあちゃんはうるさいよなあ」

そんなんばっかだと、子どもが誰かを「敬う」という感性が

生まれてこないのは当然かもね。

だから、教育論をどうの、道徳をどうのこうの、

子ども自体をいじろうとする前に、それぞれの家庭で親が

見本を見せることしか出来ることはないんじゃないかなあ?

そもそも、大人がいま、心から誰かを尊敬しているって態度を

人前で見せることすら、あんまりないんじゃないだろうか。

歴史上の人物でも、実業家でもスポーツ界のヒーローでも、

それこそ都知事でも、カリスマ占い師でもいいけど

名前を呼び捨てにしないで、ちゃんと敬語使って

大山さんのように言葉遣いにこだわって、

その人がどんなに大切な人かを表現していたら、

子どもにも、世の中にはそういうコミュニケーションがあるんだって

それはとっても気持ちのいいもんだって

雰囲気が自然と伝わると思うんだよね。

ドラえもんは未来からやって来たという設定だったけど、

未来は家庭でも社会でも、大人も子どももお年よりも

みんなそんな風にお互いで、尊敬しあえるようになれたら、

ホント理想だなあ。




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