ドキュメント顔

是枝裕和監督

カンヌ映画祭で話題になった「誰も知らない」の

是枝裕和監督が、原点のテレビ・ドキュメンタリーのディレクターにもどって

憲法九条を題材にした

ドキュメンタリー番組を制作するんだってさ。

来年2月にフジテレビで放送されるらしいよ。

いったいどんなドキュメントになるんだろう。

是枝監督の映画を観ていて、いつもすごいと思うのは、

登場人物が演技をしていないのだ。

いや、そう見えるくらいに実に自然体なのよ。

映画はまったくのフィクションのはずなのに、まるで役者さんの日常生活を

隠し撮りしているんではないかと錯覚するくらいにナマな姿で役者が映っている。

例えて言うと、さんまのからくりテレビとかで、視聴者が番組に応募してくる

ホーム・ビデオのコーナーがあるじゃない。

あれに俳優さんが自分の家族から実際に撮られて映っていた、

まさにそんな感じの映像なんだよね。

「誰も知らない」の柳楽優弥クンも、演技しているというより

その場にいたら、いつのまにか撮影されちゃったという感じだったな。

それをリアルな演技というのか、ドキュメンタリー的演出と呼ぶのか

まあそんな「抽象的」なことはどうでもよくて、

是枝監督の映画から感じるのは、それとは正反対に

常に「具体的」なことなんだよね。

「日常的」といってもいいかな。

ある特殊な状況下に置かれた人間たちを、

まったく日常から切り離さないで描くことに徹してると思う。

前々作「ディスタンス」では、社会転覆を狙うカルト集団に属する人物たち。

前作「誰も知らない」では、母親から置き去りにされた子どもたち。

彼らは特殊な事情があって、そこにいるんだけれど

事情という「抽象的」な問題よりもずっと大事で、受けとめなければならないのは

日常の中で起こるひとつひとつの「具体的」な出来事なんじゃないか。

「ディスタンス」のカルト集団の教義や、「誰も知らない」恋愛依存症のお母さんの

身勝手な言い分なんか、実はこの世にはどこにも存在しない

ただの「抽象的」な概念でしかないもんね。

それに比べて、実際にあるのは教団信者の日々の暮らしだし、

子どもたちの「具体的」な日常生活なんだよね。

雨はつめたいし、腹は減るんだ。

どうも、そのへんがキーポイントのような気がするんだよね。

憲法っていうのは、たとえばそういう「抽象的な」概念の親玉みたいなもんだ。

それをやれ正しい、間違っていると、言い争ううちに、

どんどん専門家の領域になって、日常から遠く離れていく。

手の届かない、はるかかなたの雲の上を

空理空論となって上昇していく。

「戦勝国から押し着けられた」とか「日米安保」だとかの理屈

「敵国からの脅威」「国家保全」のお題目

そんなのはぜんぶ「抽象的な」概念でしかないもん。

大切なのは、よその民族をひどい目に合わせたし、自分たちもひどい目にあった

「具体的な」出来事の、ひとりひとりの記憶だと思う。

実際に戦争体験がなくても、親や祖父母からの二次情報でもいいし、

「殺されたくないし、殺したくない」という人間として当たり前の感覚を持つようになった

個人の体験やその記憶が、きっとどこかでつながれば、

それは十分「具体的な」出来事で、日常に合流するはずだよね。

専門家だけの雲の上の空理空論から、ワタシたちの日常生活に取り戻せるはずだよね。

是枝監督はどんな日常的で「具体的な」出来事を映像化して

憲法九条をワタシたちと地つながりにして見せてくれるのだろうか。

そして、打開してくれることを祈りたいなあ。この

憲法窮状




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