世界平和顔

ダライ・ラマ

訪れている熊本で、世界平和法要が行われ(4/13)

日本やチベットのほか、モンゴル、ミャンマー、ベトナム、スリランカ

から来たお坊さんたちが、それぞれの国の言葉で

読経し、世界の平和を祈ったそうな。

さぞかしカラフルなお経になっただろうな。

最近ワタシも法事に大勢で読経する機会があった。

信仰心とは別に、あれは気持ちのいいもんだね。

お堂の中で人の声が何層も重なり合って聞こえてくる外からの音と

内側から自分が発する音が、渾然一体となって響く。

しだいにまるで自分が大きな楽器の一部になったような

体全体にバイブレーションを感じて、高揚するんだよね。

でも、昔はお経はナンセンスだと思った時期があったな。

だって、意味がわかんないんだもん。

中国から伝来したから、漢字で書いてあるみたいだけど

日本人があげるお経を聞いたって、発音が違うから中国人には

ぜんぜん意味が通じないよね。

もちろん、仏教発祥の地のインド人にはもっとわからないハズだ。

だからお経って、結局、数千年をかけた

「伝言ゲーム」のなれの果てなんじゃないか。

とうぜん誤訳もあれば、とんでもない誤解も積み重なってるに違いない。

もしもタイムマシンに乗って、ゴータマさんのところへいって

日本人がお経をあげたら、「そげなことワシ、言っとらんで」と

ナマリの強い古代インド語で驚かれるに違いない。

だから、お経は文字通りチンプンカンプン

読経は極端にいえば、呪文やおまじないと

大差ないんじゃないか、と。

ところが、お経って、意味がわからないのがいいみたいね。

最近そう思うようになったよ。

チンプンカンプンで、いくら声に出して唱えても、

具体的なイメージがなにもわかないのが良い。

そこがすばらしく、ありがたいところなんだ。

人間は言葉を操る唯一の動物だけど

最近、言葉の作り出す幻想がどんどん凶暴化しているじゃない。

言葉は便利だけれど、ほかの生物が決して持つことのない

イメージを作り出して、そのために人間自身を苦しめる。

「国境」「正義」「歴史」・・・

自然界にそんなものは存在しないんだよね。

それはただの人間のイメージで、物質じゃないもん。

だから、同じ言葉を使うのにも

意味の追求より、声のハーモニーのほうが

地球に優しいし、自然に近い。

そしてたぶん、世界平和に近いような気がする・・・。




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